スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ]

| スポンサー広告 |
もしかして三国志Part9
ネタ今日も今日とてネタがないので一応、最後の宿題となっていたもしかして三国志をお届けしたいと思います^^
最後の宿題は順平侯さんからの課題で
20061105212426.jpg

法正さんですね。字は孝直
もともとは益州の劉璋に仕えてましたが、後に劉備の臣下になります。

法正さんに関しては実はよく知らないんですよね・・・w
光輝三国志だと、劉備の入蜀の際に孟達、張松らと劉璋を裏切って(一応国を思ってのことですよ^^;多分・・・)劉備を手引きします。

その後は定軍山で夏侯淵と戦った際にはその軍略で黄忠や厳顔に献策し夏侯淵を打ち破るという場面があります。光輝だとそれだけですし、他の小説とか読んでもあんまりクローズアップされないので・・・

なんで、wikiの人物紹介の方から引用しまくって紹介しますね^^

前述のとおり法正さんは劉璋に仕えてました。有能だったんですが献策は劉璋にほとんど用いられなかったようです。後になって、法正は自分を用いない劉璋では蜀の地(益州)を守り切るのは難しいと考え、張松らと共に劉備の入蜀を計画し攻略に協力しました。

劉備の勝利後は、劉備の腹心として多くの献策を行い、この時の官職は諸葛亮よりも上位のものであったそうです(びっくりw)。

劉備の傍らには常に法正さんがいて、諸葛亮は劉備の遠征時などに後方の統治や補給を担当していたようです。

定軍山の戦いでは効果的な献策を行ない、黄忠によって夏侯淵を討ち取らせます。私が知っている中で一番の見せ場ですね^^でも光輝だと裏では諸葛亮が献策してた・・・みたいになってるんですけどね^^; 

劉備が漢中王に就いた翌年に45歳で病死したそうです。劉備は法正の死を大層嘆き、自ら法正に翼侯との諡を与えました。
劉備が与えた諡号は後にも先にもこれだけだそうです。まあ、劉備存命中はあまり主要人物は死にませんでしたから(関羽や張飛は別ですよw義弟達にそんな号は送りたくないでしょうし、黄忠さん死んだあたりはそれどころじゃなかったでしょうしね・・・)。

夷陵の戦いで劉備が大敗した時、この報を聞いた諸葛亮は「法正がおれば、主上(劉備)の東征を止められただろう、もし東征を行なったとしても今以上の危険と損害は最低限は避けられていただろう…」と優れた軍略を持っていた法正の死を嘆いたそうです。

また、呉に大敗した劉備も(夷陵の戦い)の敗戦後、「法正が生きておれば…」と嘆いたと言うから驚きです4/8伏兵、挑発は伊達ではありません^^

さて・・・前置きが長くなりましたね^^;・・・じゃあ法正さんの病を治してみましょう。

漢中王になった翌年ですか・・・蜀の全盛ですね。五虎将揃い踏みで孔明・法正がいて漢中から蜀一帯を領土にして鷂州ではまだ関羽がその地を治めてました。

関羽が呉に敗れるのは荊州と漢中の2面作戦で魏を攻める作戦を実行中の時でした。
もし、この時法正が生きていて、前述の通り重用されていたとするならば・・・法正か孔明が荊州に赴き、軍師として従軍していたんではないでしょうか?可能性としては劉備と共に漢中からの軍に法正が同行し、孔明は成都で補給の指揮等の後方支援というのも高いと思いますけど・・

仮に優秀な軍師が1人関羽の負担を和らげていたならば、呉に遅れを取ることはなく、取ったとしても関羽が討ち死にすることはなかったと思います。両面作戦は失敗して鷂州を失ったとしても五虎将は欠けることはなかったのではないでしょうか?

関羽さえ元気なら張飛も死なないし、無理な出征で黄忠が死ぬこともなかったはずです。人材さえ残っていれば、まだまだ三国時代は続いたでしょう。

仮に関羽の死を止められなかった場合、劉備を止められればまた変わっていたでしょうし、止められずにいても一方的な大敗はなかったかもしれませんね。
しかし、それでは歴史の流れを大きく変えるまでには至らないでしょうね・・・関羽が死んでしまった以上張飛は収まらないでしょうし、張飛の激情溢れた陳情は結局いずれは劉備を出征に決断させたはずです。大敗を抑えたとしても失意の劉備が病になることは避けられないでしょうし、蜀としての命数は延びるでしょうが・・・結局は史実に沿った結末になったと思います。

関羽の死を止める!!

法正がそれを出来たとしたら・・・

歴史は蜀に傾いていたと思います。



そんな結末の三国志・・・読んでみたいと思いませんか?
スポンサーサイト
[ 2006/12/05 23:36 ]

| もしかして三国志 | コメント(6) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part8
今日も、ネタがないので課題を一個ずつ片づけていきましょうかw

えー、今回は郭嘉さんですね^^ 字は奉孝。
20061121002052.jpg

周喩なんかと同じで早死にの代名詞的な印象がありますw
三国志大戦でもSRなんかめっちゃ病人ですからね^^;
20061121002149.jpg

それでも周喩は赤壁という大きな舞台と歴史的な勝利という勲章を得たため、かなり有名です。
しかし、郭嘉さんは、赤壁の前年に風土病でお亡くなりになられたということで、大きな戦いは官渡あたりの袁家討伐とその後の烏丸賊との戦いくらいでしょうか?
(この辺はみゆうさんのところのリンクから跳んだ三国志人物wikiに書いてありましたw)

個人的なイメージで言うと、当時魏の2大軍師としては、荀、郭嘉。

荀が内政や大局的な展望に優れていたとすると、郭嘉は(もちろん大局感はあったでしょうが)軍略や奇策(ひらめき?)に秀でていたのではないでしょうか・・・

荀が清として策を奮い、郭嘉が濁として汚れ仕事や汚い策(それ故に有用で必要)を進んで奮う・・・
そんな感じがします^^

さて、今回はこの郭嘉さんを救う訳ですが。
赤壁敗退後に曹操が「奉孝ありせば・・・」と呟いたとされる郭嘉さんです^^
ならば、そこまでご存命だったことにしましょう。
すると当然南征に同行していたでしょう・・・清濁併せのんでそうな郭嘉さんが陣営にいたならば、まずホウ統やらカン沢の策は見破っていた可能性があります。
そもそも曹操も疑ってたんですけどね、呉軍に潜り込んでた蔡和、蔡中あたりの言葉を信じてしまったんですよね^^;
郭嘉さんがいたら、その辺をしっかりと忠言していたかも知れません。
そうすると、連環や埋伏の毒は機能しなかったかも・・・

しかし、東南の風は吹いたでしょうし、魏軍の船酔いや疫病は治まらなかったでしょう。
火計の威力は若干落ちたかもしれませんが、大勢としての勝敗は変わらなかったと思います。
しかし、本来の赤壁程のダメージは受けなかったでしょうから、呉から退却することは免れなかったかも知れませんが、荊州は守り切れたかも知れません。
そうすると、劉備は荊州という地盤を得ることが出来なかったことになります。
(まあ、諸葛亮がいてあの勇将達がいれば南部4郡は奪れたでしょう)
劉備は史実の半分の領土しか得ることは出来ず、蜀を攻め取るまでには時間がかかり、常に荊州の北の曹軍を気にし続けなければなりません。

呉に至っても、総出で防御して追い払ったのに何も得ることが出来ないことになります。
ある意味、呉蜀の絆は対魏で強くなるかもしれませんね^^
しかし、壊滅的な打撃を免れた曹操なら、荀、郭嘉と共に直ぐに態勢を立て直し、早い時期に次の遠征を行えた可能性が高いです。

郭嘉を先陣の軍師につけ自分は今度は都、もしくは後詰めとして進軍すれば国としてもっとも大きな領土を持ち国力最大だった魏は、今度こそ荊州から呉への侵攻を成功させていたかも知れません。

三国志状態は誕生せず、南北戦争にすらならず、魏の統一国家が誕生していたかもしれませんね^^



そんな結末の三国志・・・読んでみたいとおもいませんか?

[ 2006/11/20 23:17 ]

| もしかして三国志 | コメント(3) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part7
一部ファン(?w)からリクエストがあるようですので、微妙な空気を醸しつつ「もしかして三国志Part7」を強行してみたいと思いますw

えと、今リクエストが出てるのがまさいさんからの張角と順平侯さんからの郭嘉と法正・・・

む、難しい・・・ww
そもそも法正っていつ死んだのかな?w

とりあえず今回は、後漢滅亡の口火を切ったカリスマ宗教家張角さんを救ってみたいと思います。
20061113212453.jpg

では、まずは簡単に張角の説明を・・・
張角は言わずと知れた黄巾党の頭首ですね。中国では五行(相克)の思想があって、漢の国は蒼の時代言われてました、そして蒼の次には黄色の時代がくると言ってました。
ここから「蒼天すでに死す 黄天まさに立つべし」という言葉が生まれた訳です。
では、なぜ張角はそんな大それた行動に出てしまったのでしょう・・・

それは、ある時、南華老仙という仙人から太平要術の書を貰ったからです。これにより金仙丹という薬を作れるようになった張角は民から慕われるようになり人気が上がって行きます。
これが乱れつつある世の中と微妙に時期が重なり、黄巾党が誕生するわけです(多分w)。

しかし、大きくなりすぎた黄巾党は張角の目が届かなくなり、一部は既に思想も無くただの暴徒の群れになっていきます。
そのため朝廷からは鎮圧の命令が下され、官軍が出陣することになります(これが黄巾の乱)。
このときの将軍が皇甫嵩だったり、盧植だったり、朱儁だったりします。
参加していた武将としては曹操、劉備(義勇軍)、董卓等も出てましたね^^
結局黄巾の乱は官軍の勝利に終わり、張角も張宝も張梁も戦死(張角は病死)して終息に向かいます。

さて、ここから張角を生きながらえさせる訳ですが・・・まあ、寿命を延ばすってことになると思いますけど・・・
普通に戦ったら無理ですねw
多少寿命が延びたところで、何かがどうなることはないでしょう。
このときの漢は乱れつつあったとしても、まだ統制は保っていましたし、黄巾賊が張角のもと士気高く戦い続けたとしても所詮は民兵ですからいつかは鎮圧されていたでしょう。
ここからなんとかするためには・・・

張角3兄弟には揃って落ち延びて貰うしかありません。
黄巾の乱は終息したと官軍に思わせ(いっそ影武者の死体を用意してでも)、落ち延び自分の国を持つべくこっそり布教をしつつ放浪するしかないです。
張角の強みは、兵士はその土地にあるのではなく、信仰に基づく信徒なのでどこにいても黄巾の兵だということです。
信徒なので見返りや出世は望まないでしょうし、信仰心に基づく士気はかなり高いはず・・・張角は布教することで潜在的な持ち兵を増やし、大勢力から離れたところで旗揚げをすれば黄巾の兵が一気に国に集まってくることになります。

そこで、労苦をいとわない信徒に農耕をさせ、一方で訓練をして、国力を蓄えます。
場所としては荊州南部か呉が建国される江南あたりが適当だと思います。劉表くらいしか勢力はないですし、このときは呉もまだまだ勢力としては確立してません。
肥沃な土地を信徒達で耕し、数多くの民兵を信仰によって得られる張角は一大勢力になる可能性があります。
呉の芽は摘まれてしまいますので・・・もしかすると魏、蜀、黄巾の三国志になっていたかも知れませんね^^



そんな結末の三国志・・・読んでみたいと思いませんか?
[ 2006/11/13 21:28 ]

| もしかして三国志 | コメント(10) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part6
今日は、ず~~~っっっっっと昔に連載してた「もしかして三国志」を某ま○いさんから復活させて欲しいという希望がありましたので、久しぶりにやってみたいと思います^^

まあ、連載と言ってもカテゴリ見てもらえば分かるように・・・・
順平侯さん以外の食いつきが悪かったので5回で中断してます。しかも最後は2月16日w

で、リクエストでもらったのは「袁紹」
20061108210305.jpg20061108210317.jpg

この人ですね^^
袁紹 字は本初 漢の名門袁家の当主ですね。
朝廷が乱れるまでは洛陽で重職についてました。乱れて国に帰ってからは名門の威光を駆使して華北一帯を支配下に治めます。
州で行くと4州目とか5州目とかその辺です。ちなみに2州目3州目あたりは幽州で公孫賛がいたりします^^
袁紹は、肥沃な土地である華北一帯を支配下におき着々と力を蓄え、当時の群雄の中ではずば抜けた勢力でした。
しかし、絶大なカリスマを持ち人材活用に優れた曹操が台頭してくると次第に激突は避けられなくなってきます。
曹操にとっても、袁紹を倒してその広大で肥沃な土地を手に入れなければ覇業をなすことは出来ません。
自軍の何倍もの勢力を持った袁紹に挑んだその戦いがかの有名な官渡の戦いになります。

この戦で袁紹は敗北し、
(裏事情としては、当時曹操のところにいた鬼神関羽(絵)が顔良、文醜を斬ってしまったり、淳于瓊が守る烏巣の大兵糧庫が焼き討ちされたり、許攸が曹操に寝返ったりしてしまったからですね^^)
その後失意のうちに病死します(後継者をきちんと決めずにねw)。

さて、「もしかして三国志」ではこんな袁紹くんを生きながらえさせる訳ですが・・・・
う~んどう頑張っても統一までは無理っぽいですねww
もしかして三国志では本来の歴史のある一地点だけに手を加えた場合に歴史がどう変わるかを妄想する企画なので、袁紹くんの人生に一カ所手を加えた位では彼を覇者にするのは難しいですww

なので、あくまでここを修正入れたらここまでは行けるんじゃね?みたいな感じですかね^^;
さて、どこをいじりましょうか・・・
とりあえず官渡までは良いとします。そこで負けなければ良いので、袁紹くんの性格をちょっと矯正w

田豊を重用出来るだけの器量があったとします^^

そうすると、田豊の堅実で慎重な献策はもともと地力のある袁紹には合致しています。
田豊なら、無理に官渡で一大決戦をする愚は犯さないでしょう。
確実に陣を堅め、補給を確保し、大勢を以てじわじわと曹操軍を追いつめて行ったと思います。
補給線が伸びきらなければ、烏巣一つ落とされて壊滅することは無かったはずです。
戦況が有利なら許攸は寝返らないでしょう(顔良、文醜は斬られたかもしれませんがw)。

いくら曹軍が精強だったとしても負けることはなかったはず。
むしろ時間はかかっても、曹操軍を打ち破っていたのではないでしょうか?
曹操を破れば北部に袁紹に比する相手はいません。
帝を迎え入れ、漢の実権を握ったでしょう、漢の名門である袁紹は帝を廃嫡して漢だからこその名門を失うようなことはないような気がしますので、西涼馬騰も反旗を翻さず、傘下に加わるかもしれません。
その辺の調整は田豊がうまくやるでしょうw

そうすると、北半分は袁紹が得ますね・・・あれ?結構行けそうw
ただ、この辺で袁紹さん寿命が切れそうwww
寿命切れたら跡継ぎに期待できない分乱れそうですね・・・そうすると圧倒的に呉が強いですね、劉備も場合によったら漢王室自体は残る訳ですから、袁紹の元で国を良くするために頑張るという選択肢もあるかもしれませんね。
そうしたら、荊州劉表は問題なく併呑ですし、劉璋も問題ないでしょう。
最終的には呉との一騎打ち・・・・

と、歴史は動くかもしれませんね^^

そんな結末の三国志 読んでみたいと思いませんか?

[ 2006/11/08 21:11 ]

| もしかして三国志 | コメント(7) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part5
今日は仕事が忙しく帰りが遅くなったので、結局行けず・・・
未だに新Verの全国デビューが出来ないままの伏(龍)です^^;

と言うわけでネタもないので久しぶりにもしかして三国志Part5をやってみようと思います。
人気薄のこのネタも今回で第5回ですね♪
(いつ無くなってもおかしくないネタですからw)

さて今回も、以前順平候さんからネタ振りされていたものからこの人を
救ってみたいと思います。

R徐庶
この人、そう徐庶元直さんです。
では、簡単に説明を・・・

徐庶。字は元直。若い頃に知り合いの仇討ちを手伝い、役人に追われるようになり単福と名を変え放浪する。
いずれホウ統や諸葛亮と共に司馬徽門下で勉学に励み、卓越した能力を身に付けます。
そして、劉備が荊州は劉表の下に身を寄せ、新野を任されていたころ劉備に仕官します。
その頃、魏の曹操が荊州を攻め取ろうと送り込んだ曹仁軍を単福と名乗っていた徐庶は見事な軍略を以って、寡兵で撃退します。
そのことにより、劉備は知略(軍略)の大切さを知り単福の存在を大変喜びました。
しかし、武はあっても知の無かった劉備軍に参謀がついたことを知った曹操はそれを恐れると同時に、徐庶の才能を欲し(確か)程の案に乗り、徐庶の母親を自分の下に招き軟禁します。

徐庶の母親は自分の息子が徳のある人と噂されていた劉備に仕えていることを喜んでいたため、曹操の徐庶を呼び寄せるように手紙を書けという再三に渡る要求を聞き入れませんでした。
しかし、程が母親に取り入り、幾度かお礼の手紙をもらうようになるとその字を真似、徐庶の下へ偽手紙を送ってしまいます。

それを読んだ徐庶は、曹操の下にいる母親を放っておくことが出来ず、劉備に全てを明かし、暇を告げ母親の下へと去っていきます。
このとき、自分が去った後のことを考え、劉備に伏龍・臥龍と呼ばれていた諸葛亮を推挙して行きます。
このことがきっかけで孔明は劉備軍に入ることになります。

さて、その後の徐庶は・・・母親の下に駆けつけた徐庶、しかし、母親は事情を聞き大層落胆しました。
そして、自分の存在が息子の本当に仕えたい人に仕え世のためになる機会を奪ってしまったことを嘆き悲しみ、自害してしまいます。

大変後悔した徐庶ですが、劉備の下に戻る訳にも行かず、そして曹操のためには計を用いないと心に決め、魏に残ることになります。
その時の徐庶が
SR徐庶
これですねw
徐庶の心情を思えば仮面もなんとなく分かる気がします^^

さて、前置きがかなり長くなりましたが・・・
ここで徐庶さんを救ってみましょう。

もし、徐庶が曹操の偽手紙を見破り、こっそりと母親を救い出したとしたら・・・
当然徐庶は魏に行くことは無く、劉備軍の大軍師として活躍したことでしょう。
ですが・・・ここで一つ問題があります。徐庶が居残ったとしたら劉備軍に孔明が参軍することがあったでしょうか・・・
徐庶は自分の才が孔明やホウ統に及ばないことを自覚してましたのでいつかは劉備に推挙していたと思いますので問題ないとします。
そうすると、劉備の下には徐庶、孔明、ホウ統と天下の知略家達が三国鼎立前からずらっと揃います。
これは強いですね♪
さすがに赤壁までの流れを変える事は難しいとは思いますがそれ以後の戦略は大分加速されたのではないでしょうか?
優秀な軍師にに率いられた軍を多方面に派遣できる利点は計り知れませんから。
そうすれば劉備が他の二国と張り合えるようになるまでがずっと早くなり、力関係ももっと拮抗したものになったことでしょう。
ホウ統も死ななかったかもw

そんな結末の三国志 読んでみたいと思いませんか?


[ 2006/02/16 00:12 ]

| もしかして三国志 | コメント(2) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part4
今日もプレイはしてないので(行きたい~!)今回は久しぶりにもしかして三国志 Part4をやってみたいと思います。

この企画、何気に人気薄?w  しかし!やります!なぜなら・・・

ネタがないからw

今回救っちゃうのはpart3で順平候さんからご指摘のあった(私のメインデッキ主力の)呂布です。

新SR呂布SR呂布
この人ですね。

では、簡単に説明しますね。
呂布 字は奉先 もともとは西涼の丁原の養子として丁原軍にいました。しかし、董卓との戦争中に董卓から赤兎馬を贈られて丁原を斬り董卓の幕下に寝返ります。
しかし、悪逆無道非道を尽くす董卓を排除せんとたくらんだ王允の養子貂蝉の離間の策によって、呂布は董卓を殺害。
その後の混乱において周辺をさまよった呂布は当時徐州の太守だった劉備に身を寄せます。
そして、一度は袁術に攻められた劉備を救ったりもしますが、最後には陳宮などの進言により、劉備の留守に徐州を乗っ取ることになります。
それを知った、劉備と曹操が徐州を攻め、そこで呂布は破れ、処刑されることになります。

様々な小説などを読んでみると呂布は自分で国を持つよりはむしろ、戦場を与えられてこそ光を放つ人だったのだと思います。
あまりの武勇ゆえにそこに夢をみた、陳宮や張遼・・・彼らの期待に乗っかってしまったのかもしれません。

ここで、呂布が自分で天下を取ることを夢見ずに徐州に受け入れてくれた劉備に心酔し、配下に加わっていたとしたら?

これは、歴史が変わったかもしれません。
まず徐州は呂布に奪われません。(後で曹操に返してもらえるのですが)
そして、その後曹操に攻められた時でも・・・呂布がいたら簡単に負けることは無かったはずです。
呂布の配下には陳宮や張遼といった優秀な武将がいました。
当時、劉備の下には関羽、張飛位しかいませんでしたから(参謀すらいない有様です)これは大きいです。

仮に歴史の流れに沿って荊州に流れていったとしてもその後の戦の端々において呂布、陳宮、張遼等が劉備軍にいたとしたら・・・
R陳宮R張遼

考えただけでわくわくしませんか?
五虎将は六虎将(張遼いたら七虎将?)だったかもしれません。
張遼も呉の国から恐れられることも無かったでしょうw
この面子に伏龍先生がいたら・・・
きっと蜀の建国は早まり、漢王室は滅びなかったかもしれませんね。


そんな結末の三国志、読んでみたいと思いませんか?



[ 2006/01/31 21:38 ]

| もしかして三国志 | コメント(2) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part3
今日は(土)大雪の為停戦です・・・(行きたかったなぁ・・・)

仕方がないので久しぶりにもしかして三国志をやろうかと思います。
第一回でホウ統を救って、第二回で孫堅(孫策)を救ってみました。
とすれば第三回は魏。魏の国と言えば、
SR曹操

この人ですね。

曹操はまあ、言わずと知れた魏の礎を築いた人物です。
要所要所でピンチを向かえながらも、典韋に助けられたり、関羽に見逃してもらったりで天運の強さを見せ、強大な勢力を作りあげました。
その曹操の死はある意味寿命とも言えますが、脳の病気だったとされています(横山光輝三国志ですがw)。

ここで、出てくるのが(現在レート最上級?)
SR華佗

華佗です。
神医華佗は、この時にして既に麻酔を使い、開腹手術すらこなしていたとされています。
このときもおそらく脳腫瘍ではないかと思われる曹操に対して麻酔ののちの開頭手術を勧めました。
しかし、曹操はそれを信じることができず華佗を藪医者扱いして投獄して死に至らしめてしまいます。
結論として、曹操はその病により亡くなる訳ですが、もし華佗が完璧な施術をして曹操も華佗を信用して全てを任せていたとしたら・・・
曹操の病は回復していたかもしれません。
そうすれば、漢王室の滅亡はもっと先になっていたでしょう。
(曹操は最後まで帝を廃嫡しようとはしませんでした。禅譲を迫ったのは曹丕だったはず)
そうすると、三国時代の時期はもっと短かったかもしれません。
ちょうどその頃、蜀は夷陵の戦いで呉に破れ、大打撃を被っていましたし、呉も蜀の攻勢を受けて無傷ではありませんでした。
演義の上ではこのとき魏の大掛かりな行動はありませんでしたが曹操が健康体であったならば、蜀か呉に何らかのアクションを起こしていたかもしれません・・・

ただ、曹操が死んだ頃は既に天下三分ががっつりハマっていて仮に助かったとしてもあまり歴史に動きはなかったような気もしますw
同じ時期で救うならむしろ関羽かもしれませんね。
狼煙台をしっかり守る助言さえしておけば、陸遜の計で討ち死にするまでには追い詰められることはなかったような気がします。

蜀が関羽健在で荊州を抑え、漢中と二面作戦が決まっていれば・・・
(当然関羽健在ですから夷陵で大打撃を受けることはないです)

そんな結末の三国志、読んでみたいと思いませんか?
[ 2006/01/22 01:04 ]

| もしかして三国志 | コメント(3) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part2
さて、今日は出陣出来なかったので「もしかして三国志」の妄想世界を繰り広げたいと思います。
今回で2回目になりますが、これは三国志の歴史を振り返ってみて「もし、あの時これがこーなってあれがこうなら、きっとこうなってたのにー」と思うようなことを、妄想の中で考えて見ましょうというコーナーです。
第一回は、落鳳破でホウ統さんを救ってみました。きっとその世界では蜀が漢王朝を復活させていることでしょう(w)
続きを読む
[ 2006/01/05 22:41 ]

| もしかして三国志 | コメント(3) | トラックバック(0) |
もしかして三国志 Part1
(2006/1/1分です)
さて、なんとなく始めてみた第一弾。
そもそもこのコーナーは、三国志の物語を第三者的に見て「ああっ!このときここがこうなったらああなってこうなったのに~」(意味不明w)
みたいな葛藤をぶちまけてみようというコーナーです。

ちなみに月刊マ○ジンという雑誌で連載している漫画に現代の高校生が三国時代にタイムスリップしてしまい、そこで死ぬはずのない徐庶を死なせてしまい、新野を攻める魏軍を徐庶の代わりに火計で焼くというところから始まるものがあります。
連載当初はかなり興奮して読んでました。
なので、一度だけ歴史に介入できるとしたら・・・ということで妄想してみます。
この妄想に、突っ込みを入れるもよし。共感してくれるのもよし。僕なら私なら~みたいなのも大歓迎なんで、コメントあると嬉しいです。

続きを読む
[ 2006/01/03 01:23 ]

| もしかして三国志 | コメント(0) | トラックバック(0) |
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。