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初めまして^^ たまたま見たら私の大好きな郭嘉について書いてあったのでつい食いついちゃいましたw 荀は策を用いるというよりは主に内政で、郭嘉は軍略担当・・・ 仰るとおりです。 ただ、郭嘉なら連環の計を見破れたと思いますし、連環あってこその火計ですから、連環が成らなければ火計も行われないという可能性が高いと思います。 ・・・ん、でも郭嘉だって水戦は初めてだから連環を見破れなかったかも^^; なんにしても、郭嘉にはもっと活躍して欲しかったですorz
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多分赤壁のカン択の推挙を見破ってた可能性は高いですね~ ただ、連環は採用した可能性が高いですが。 ただ、魏の運がいいところはあの大敗によって荊州を奪われたことが結果的に蜀と呉を仲違いさせることになったって点ですね。 もし赤壁大敗後蜀呉の同盟が続いていたらそれこそ本当に郭嘉が居なかった事を悔やむ破目に。 でも、赤壁後の郭嘉VS孔明ってのも見てみたかったな~と。www ただ、郭嘉居たら徐庶とか危なかったろうな~とか思ってみたり。www
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>千里眼さん コメントありがとうございます^^ お名前はいろんなブログで拝見してますので初めてって感じはあんまりないですよw 郭嘉は惜しいことをしましたね・・・^^; 確かに歴史に変化を与えられる人材だったと思います。 多分、連環が行われなかったとしても火計は行われたんじゃないかなぁ、と思います^^; なぜなら、あの時の蜀呉には火計する以外にあの戦を勝利する手段がなかったからです。 唯一風向きだけがネックで火が使えなった・・・連環は効果を増す為に必要だっただけで火計の策を取りやめる要因にはならなかったんじゃないかなぁ・・・w こうして、もしも話が出来るのも、もしかして三国志のいいところですね^^ >順平侯さん いつもコメントありがとうございます^^; カン沢はきつかったでしょうね・・・連環は船酔いという弱点解消には良かったですし、その時は風向きの関係で火計は無理だと思われてましたから採用の可能性は確かにありますね^^ 呉蜀の同盟は確かにそのとおりですね。一応形だけの同盟は続きますが、争いの芽を残すことになりましたから・・・ 確かに郭嘉いたら徐庶は都に帰れなかったでしょうねw
伏 * URL
[編集] [ 2006/11/22 00:01 ]
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