スポンサーサイト
上記の広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。
新しい記事を書く事で広告が消せます。
[ --/--/-- --:-- ]

| スポンサー広告 |
もしかして三国志 Part8
今日も、ネタがないので課題を一個ずつ片づけていきましょうかw

えー、今回は郭嘉さんですね^^ 字は奉孝。
20061121002052.jpg

周喩なんかと同じで早死にの代名詞的な印象がありますw
三国志大戦でもSRなんかめっちゃ病人ですからね^^;
20061121002149.jpg

それでも周喩は赤壁という大きな舞台と歴史的な勝利という勲章を得たため、かなり有名です。
しかし、郭嘉さんは、赤壁の前年に風土病でお亡くなりになられたということで、大きな戦いは官渡あたりの袁家討伐とその後の烏丸賊との戦いくらいでしょうか?
(この辺はみゆうさんのところのリンクから跳んだ三国志人物wikiに書いてありましたw)

個人的なイメージで言うと、当時魏の2大軍師としては、荀、郭嘉。

荀が内政や大局的な展望に優れていたとすると、郭嘉は(もちろん大局感はあったでしょうが)軍略や奇策(ひらめき?)に秀でていたのではないでしょうか・・・

荀が清として策を奮い、郭嘉が濁として汚れ仕事や汚い策(それ故に有用で必要)を進んで奮う・・・
そんな感じがします^^

さて、今回はこの郭嘉さんを救う訳ですが。
赤壁敗退後に曹操が「奉孝ありせば・・・」と呟いたとされる郭嘉さんです^^
ならば、そこまでご存命だったことにしましょう。
すると当然南征に同行していたでしょう・・・清濁併せのんでそうな郭嘉さんが陣営にいたならば、まずホウ統やらカン沢の策は見破っていた可能性があります。
そもそも曹操も疑ってたんですけどね、呉軍に潜り込んでた蔡和、蔡中あたりの言葉を信じてしまったんですよね^^;
郭嘉さんがいたら、その辺をしっかりと忠言していたかも知れません。
そうすると、連環や埋伏の毒は機能しなかったかも・・・

しかし、東南の風は吹いたでしょうし、魏軍の船酔いや疫病は治まらなかったでしょう。
火計の威力は若干落ちたかもしれませんが、大勢としての勝敗は変わらなかったと思います。
しかし、本来の赤壁程のダメージは受けなかったでしょうから、呉から退却することは免れなかったかも知れませんが、荊州は守り切れたかも知れません。
そうすると、劉備は荊州という地盤を得ることが出来なかったことになります。
(まあ、諸葛亮がいてあの勇将達がいれば南部4郡は奪れたでしょう)
劉備は史実の半分の領土しか得ることは出来ず、蜀を攻め取るまでには時間がかかり、常に荊州の北の曹軍を気にし続けなければなりません。

呉に至っても、総出で防御して追い払ったのに何も得ることが出来ないことになります。
ある意味、呉蜀の絆は対魏で強くなるかもしれませんね^^
しかし、壊滅的な打撃を免れた曹操なら、荀、郭嘉と共に直ぐに態勢を立て直し、早い時期に次の遠征を行えた可能性が高いです。

郭嘉を先陣の軍師につけ自分は今度は都、もしくは後詰めとして進軍すれば国としてもっとも大きな領土を持ち国力最大だった魏は、今度こそ荊州から呉への侵攻を成功させていたかも知れません。

三国志状態は誕生せず、南北戦争にすらならず、魏の統一国家が誕生していたかもしれませんね^^



そんな結末の三国志・・・読んでみたいとおもいませんか?

スポンサーサイト
[ 2006/11/20 23:17 ]

| もしかして三国志 | コメント(3) | トラックバック(0) |
<<今日は簡単に^^ | ホーム | 教えて教えて推挙で阿蒙。これいくら?>>
コメント
--- ---

初めまして^^
たまたま見たら私の大好きな郭嘉について書いてあったのでつい食いついちゃいましたw
荀は策を用いるというよりは主に内政で、郭嘉は軍略担当・・・
仰るとおりです。
ただ、郭嘉なら連環の計を見破れたと思いますし、連環あってこその火計ですから、連環が成らなければ火計も行われないという可能性が高いと思います。
・・・ん、でも郭嘉だって水戦は初めてだから連環を見破れなかったかも^^;

なんにしても、郭嘉にはもっと活躍して欲しかったですorz
千里眼 * URL [編集] [ 2006/11/21 17:54 ]
--- ---

多分赤壁のカン択の推挙を見破ってた可能性は高いですね~
ただ、連環は採用した可能性が高いですが。
ただ、魏の運がいいところはあの大敗によって荊州を奪われたことが結果的に蜀と呉を仲違いさせることになったって点ですね。
もし赤壁大敗後蜀呉の同盟が続いていたらそれこそ本当に郭嘉が居なかった事を悔やむ破目に。
でも、赤壁後の郭嘉VS孔明ってのも見てみたかったな~と。www

ただ、郭嘉居たら徐庶とか危なかったろうな~とか思ってみたり。www
順平侯 * URL [編集] [ 2006/11/21 23:24 ]
--- ---

>千里眼さん
コメントありがとうございます^^
お名前はいろんなブログで拝見してますので初めてって感じはあんまりないですよw
郭嘉は惜しいことをしましたね・・・^^;
確かに歴史に変化を与えられる人材だったと思います。
多分、連環が行われなかったとしても火計は行われたんじゃないかなぁ、と思います^^;
なぜなら、あの時の蜀呉には火計する以外にあの戦を勝利する手段がなかったからです。
唯一風向きだけがネックで火が使えなった・・・連環は効果を増す為に必要だっただけで火計の策を取りやめる要因にはならなかったんじゃないかなぁ・・・w
こうして、もしも話が出来るのも、もしかして三国志のいいところですね^^

>順平侯さん
いつもコメントありがとうございます^^;
カン沢はきつかったでしょうね・・・連環は船酔いという弱点解消には良かったですし、その時は風向きの関係で火計は無理だと思われてましたから採用の可能性は確かにありますね^^
呉蜀の同盟は確かにそのとおりですね。一応形だけの同盟は続きますが、争いの芽を残すことになりましたから・・・
確かに郭嘉いたら徐庶は都に帰れなかったでしょうねw
伏 * URL [編集] [ 2006/11/22 00:01 ]
コメントの投稿














管理者にだけ表示を許可する

トラックバック
トラックバック URL
http://fukuryuu777.blog43.fc2.com/tb.php/356-a9abac31
この記事にトラックバックする(FC2ブログユーザー)
| ホーム |
上記広告は1ヶ月以上更新のないブログに表示されています。新しい記事を書くことで広告を消せます。