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もしかして三国志 Part4
今日もプレイはしてないので(行きたい~!)今回は久しぶりにもしかして三国志 Part4をやってみたいと思います。

この企画、何気に人気薄?w  しかし!やります!なぜなら・・・

ネタがないからw

今回救っちゃうのはpart3で順平候さんからご指摘のあった(私のメインデッキ主力の)呂布です。

新SR呂布SR呂布
この人ですね。

では、簡単に説明しますね。
呂布 字は奉先 もともとは西涼の丁原の養子として丁原軍にいました。しかし、董卓との戦争中に董卓から赤兎馬を贈られて丁原を斬り董卓の幕下に寝返ります。
しかし、悪逆無道非道を尽くす董卓を排除せんとたくらんだ王允の養子貂蝉の離間の策によって、呂布は董卓を殺害。
その後の混乱において周辺をさまよった呂布は当時徐州の太守だった劉備に身を寄せます。
そして、一度は袁術に攻められた劉備を救ったりもしますが、最後には陳宮などの進言により、劉備の留守に徐州を乗っ取ることになります。
それを知った、劉備と曹操が徐州を攻め、そこで呂布は破れ、処刑されることになります。

様々な小説などを読んでみると呂布は自分で国を持つよりはむしろ、戦場を与えられてこそ光を放つ人だったのだと思います。
あまりの武勇ゆえにそこに夢をみた、陳宮や張遼・・・彼らの期待に乗っかってしまったのかもしれません。

ここで、呂布が自分で天下を取ることを夢見ずに徐州に受け入れてくれた劉備に心酔し、配下に加わっていたとしたら?

これは、歴史が変わったかもしれません。
まず徐州は呂布に奪われません。(後で曹操に返してもらえるのですが)
そして、その後曹操に攻められた時でも・・・呂布がいたら簡単に負けることは無かったはずです。
呂布の配下には陳宮や張遼といった優秀な武将がいました。
当時、劉備の下には関羽、張飛位しかいませんでしたから(参謀すらいない有様です)これは大きいです。

仮に歴史の流れに沿って荊州に流れていったとしてもその後の戦の端々において呂布、陳宮、張遼等が劉備軍にいたとしたら・・・
R陳宮R張遼

考えただけでわくわくしませんか?
五虎将は六虎将(張遼いたら七虎将?)だったかもしれません。
張遼も呉の国から恐れられることも無かったでしょうw
この面子に伏龍先生がいたら・・・
きっと蜀の建国は早まり、漢王室は滅びなかったかもしれませんね。


そんな結末の三国志、読んでみたいと思いませんか?



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[ 2006/01/31 21:38 ]

| もしかして三国志 | コメント(2) | トラックバック(0) |
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コメント
--- ---

高順なんて武将も劉備の元に。
確実に劉備は早々に周りから潰されに掛かられそう。w
まぁ、一先ず呂布、張飛、関羽の武力と陳宮の采配があれば簡単に負けることは無いですね。
しかもその後には趙雲と徐庶も劉備の元にやってきますからね・・・当時にしては最強メンバーじゃないですか?

(田豊が袁紹と折り合いが良く、官渡の戦いで曹操が負けていたらってもの・・・ってまたネタ振り。w)
順平侯 * URL [編集] [ 2006/02/01 02:20 ]
--- ---

>順平候さん
(笑)
確かに、呂布が配下になったら警戒されまくりですねw
でも、当時は徐州という地盤もありましたし陳宮、陳桂、陳登が頑張って情報戦を仕掛けてねばり強く戦えるような気がします。
で、子龍が加われば・・・うん、確かに強いですね~。

ネタ振りがマニアックな方面に行きましたねw
人気薄企画?ですのでいつになるかはわかりませんがそのバトン受け取ってしっかり暖めておきます^^
伏 * URL [編集] [ 2006/02/01 14:41 ]
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