二の章 美髯公
「なるほど…そうするとこちらからの操作に完全に服従はしてくれるけども武将との信頼関係がなければ思ったような力は発揮してくれないということか」
あれから玄はヘルプにゲームに関して一通りのレクチャーを受けた。疑問点があればとことん納得いくまで質問していたのでおもいのほか時間がかかり,一度階下から食事の声がかかったためにレクチャーを中断せざる得なかった。
大急ぎで夕飯を済まし残りの説明を聞き終えた時は結構な時間になっていた。
「何度も言うが武将達は正真正銘,本物の霊体だ。設定されたんじゃない人間としての意思がある。このゲームに縛られている以上はコマンドには逆らえないし,デジタル化した霊体をいじられて魔法のような必殺技を使えたりするがそれでも人間の霊体だと言うことには変わりはない。嫌な奴の言うことは聞きたくないだろうし,自分の信念やプライドもあるし,恐怖心だってある。自分達の現状だってよく把握出来てないかもしれない・・・そういうことだ」
「…なんだかこのゲームに対して不満があるみたいな言い方だな,ヘルプ」
妙に真面目な雰囲気のヘルプに玄は皮肉気に笑いかける。
「へっ?なーにを言ってるんだい玄!おれっちはこのゲームの案内役だぜい!プレイヤーにおもしろおかしくこいつを楽しんでもらうのがお仕事さ!」
ヘルプはくねくねと身体をよじらせながら陽気に紙吹雪を舞わせる。
「そっか,そうだよな…もし,お前の言うことが正しくて本当に人の魂が封じられてるとしたら。もし俺がその立場だったとしたら…たまらないなと思ったからさ。そう思ってたからヘルプの言葉がそういうふうに聞こえちゃったんだなきっと…」
「………」
「まっ!実際そんなことあるわけないしゲームの内容に愚痴つけても仕方がない。取り敢えずおおかたの概要は分かった。後は俺の相棒を確認してからの話だな」
玄にしてみれば最低二週間はこのゲームで生き延びなければせっかくのVS端末が宝の持ち腐れになってしまう。
今説明を受けた内容によればただ負けないように時間を稼ぐだけならばさほど難しくはない。
しかし,このゲームを遊んで楽しみながら勝ち残るにはプレイヤーの戦略や資質もさることながらそれ以上に相棒となる武将が誰かということが序盤の戦いを大きく左右することになるのだ。
「よし,ヘルプ。頼むよ,俺の相棒を紹介してくれ」
「ん?あ,ああ。OK!OK!ようやくその気になってくれたって訳だ。おれっちも早く見たかったっていうのに待たせやがってこの野郎!焦らせ上手!」
妙にハイテンションになっていくヘルプを苦笑して落ち着かせる。いい気分に水を差されたヘルプは不機嫌そうに眉を寄せたが思い直したように頷き返すと牌の角にはちまきを巻いた。
「よっしゃ!ホンじゃま、いってみますか」
いよいよVSシステムの真価を体験出来るという予感と憧れの三国志の英雄を立体映像とはいえ目の当たりにすることが出来るという興奮で玄の胸は高鳴る。
玄が熱い視線を向けるその先でヘルプがはちまき姿で怪しげな踊りを踊っている。
はたから見れば手の平大のはちまきをした麻雀牌が怪しげな踊りを踊るというこの上もなく滑稽な光景だが踊りと共にヘルプの頭上に光り輝く魔法陣が描かれていくとあってはそれを滑稽だと感じる余裕もなくひたすらその様子を見守るしかない。
複雑な紋様と共に描かれた魔法陣はくるくると回り始めて徐々に淡く光を放ち始める。 その煙の様に立ちこめる淡い光の中,魔法陣の中心部分から白いもやの様な物がもくもくと湧き出して光の中に収束していく。
魔法陣の下ではヘルプがYO!とかHA!とか叫んでいるがそんなものは視界に入らない。
やがて大きな固まりとなったもやは徐々に形を成していく。それは片膝をついてうずくまる人間の形だ。
「………ぉぉ……ぉ…」
その光景に目を奪われ小さなうめきを漏らしていた玄はこの段階に至ってようやくその人型が誰なのだろうかということが気になり始め,だんだんと輪郭をはっきりさせていくもやを注意深く見つめる。
屈んでいるとはいえかなりの体格だということはわかる。服装は鎧などを身につけているわけでもなくごく普通の民族衣装の様だ。 頭には頭巾をつけているようで髪型はよくわからない。ただ…
面を伏せているにも関わらず垂れ下がって見える見事な顎髭。それが玄にある一つのキーワードを連想させ大きな期待を抱かせる。
そうしている間にも煙は変形を続け今や完全に人型となり,色彩も整っていく。
その姿は玄が今まで触れてきた三国志の世界の中で想像していた何百という武将の何百通りの姿,そのどれにも似ていない。
まず存在感が違う。身体から放たれる威圧感が違う。
これが乱世を駆け抜けてきた男なのだと一目見ただけで分かる。現代にいる格闘家達の方が肉体的には鍛えられているだろう。
動きや力も上かもしれない。だが,勝つのは…生き残るのは格闘家達ではない。
玄は体中を走る稲妻に鳥肌を立たせて震える。そして,ヘルプの言っていた事は本当だったと無意識に理解した。
こんな存在感を放つものがただの立体映像に出せるはずはない。
平和に慣れきった玄にすらはっきりと分かる。こんな殺伐とした存在感を出せるのは常に死と隣り合わせの人生を送った者だからなのだということが。
玄の身体の震えは自分とはあまりにも異質なものに対する恐怖が半分。
後の半分は…理由のわからない感動のためだった。何に?と問われても明確な答えなど出せない。そういう類のものである。
ただ,胸が熱くなり身体が震える。目頭が熱くなる。
そして,屈んでいた武将が静かに顔を上げる。
正面に座っていた玄と目が合う。
しかし,その表情に変化は無く目を逸らさぬまま静かに立ち上がる。
玄は気圧されるものを感じながらも視線は決して逸らさずに自分もベットから降りて立ち上がり,赤ら顔の武将を見上げる。
そして震える膝を意識したまま口を開く。
「お…俺は……」
声が震える。軽く咳払いをして気を取り直すと自分を叱咤しながらもう一度口を開く。
「俺の名前は玄 徳水。あなたの名前を教えて欲しい」
何故か端末で支配できる相手として高圧的な態度を取ろうとは思わなかった。
しっかりと向き合い,自分から名乗るのが正しい方法だと何となく思ったのだ。
「……最低限の礼儀は知っているようだな」
赤ら顔の武将が無表情のまま低く野太い声を出す。玄が内心で心配していた言葉の問題は無いようだ。
「なれば,我も名乗らねばなるまい」
赤ら顔の武将は胸の前で握った左拳を右手の平で包むように合わせた。
「姓は関,名は羽,字は雲長と申す」
玄の身体がびくりと震えた。その見事な顎髭と赤ら顔からその名を予想はしていた。
しかし,本人の口からいざその名を聞くと興奮が隠しきれない。
「加えて一つ問いただしたい」
関羽は相変わらず無表情のままだがその声には先程よりも剣呑な響きがある。
玄は気圧されて口を開くことが出来ず,かろうじて頷くことで答えた。
「なにゆえに!玄徳と騙る!その名は我が生涯を通じ忠誠を誓い,義兄弟の契りを交わした兄者のもの!お前のごとき軟弱なわっぱの名乗ってよい名ではない!」
決して大声ではないが部屋中がびりびりと震えるような威圧感が籠もっている。
本来であれば玄はその圧倒的な威圧感に腰を抜かし,床に座り込んでいてもおかしくは無かったはずだ。
ただ,関羽にとって劉備玄徳が生涯唯一の主にして義兄弟の長兄というかけがえの無い存在だったとしても,その名を他人に使われる事が我慢ならなかったとしても!
玄にとっても自分の名前は両親が考えに考えて付けてくれたものだ。
玄という文字には天という意味がある。
玄という文字には奥深く微妙なもの,深遠な道理という意味がある。
プロを玄人というように一つの道を極めて欲しいという願いもこもっている。決して誰かに頭ごなしに否定されて良いものではない。その怒りが玄の身体に芯を通した。
「ふざけるな!俺の名は玄だ!姓は徳水,名は玄!俺の両親が考え抜いてつけてくれたただ一つの名前だ!誰にも文句は言わせない!父母のつけてくれた名を否定されて怒りを覚えない者などいるものか!関羽よ!お前がその羽という名を捨てろと言われて捨てられるのか!」
玄は肩で息をしながら一気に言い放ち,関羽の視線を真っ向から押し返し睨みつける。「…………」
「…………」
玄にとって永遠とも思える静寂の後……
くっくっくっ………
「???」
睨みつける玄の視線を泰然と受け止めていた関羽が低い笑い声をたてている。
「なるほど…確かに私の方が礼を失していたようだな。この通り謝罪しよう」
関羽はそういうと小さくこうべを垂れた。
「名は玄と申すのか………字はなんと言うのだ?」
「あなたが自分の現状をどこまで把握しているのかは知らないが,今はあなたがいた時代から千八百年程経っている。ここは中国……じゃなくて漢の国のあった東の洋上にある日本という島国でここには字をつける風習はないから俺には字は無い。玄,これが俺の名前だ」
関羽はその言葉にわずかな驚愕の表情を浮かべた。
「…私の理解していることは少ない。本来は死んでいるであろう事,ここは私が生きていた世界ではないこと,そしておぬしの持つその武器に逆らえないこと。そのぐらいだ」
玄は小さく頷くと自分は関羽に断りをいれてベットに腰を下ろした。
「正直に言って俺にも今の状況を完全に説明できるだけの情報はない。それでも少しはあなたの知りたい事を教えることが出来ると思う」
「ふむ……。おぬしはその武器を持っているにも関わらず我に対し礼を持って接した。他人の非に対し真っ直ぐに怒る心を持ち我に対しても非を正そうとした。たったそれだけのことだが私はおぬしを少なくとも今のこの状況を確認するために話し合う相手としては充分信頼出来る相手だと思っている。どうか聞かせて欲しい」
玄は黙って頷いて静かに話し始めた。
いつの間にかヘルプはその姿を消していた。
~つづく~
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